共愛学園の歴史

History of Kyoai Gakuen

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    当時の前橋英和女学校

    「前橋英和女学校」の設立まで

     前橋では、1886年(明治19年)に前橋英学校(校主:加藤勇次郎、設立者:高津仲次郎)が設立されましたが、1888年(明治21年)に入ると経営難から閉校となりました。この時、同校の女教師だった不破清、村山雪は、笹尾縫らと相談し、英学校の女生徒救済と女子の中等教育のため、女学校設立に立ち上がりました。

     この動きを受けて、高津仲次郎、関農夫雄、深沢利重らは、同年2月29日夜、前橋市内横山町鍋屋旅館で資産の譲渡と女学校設立の会合を開きました。しかし保安条例違反で前橋刑務所に一週間拘引されてしまいます。これがいわゆる鍋屋事件です。(後年、この日が創立記念日と定められました。なお、うるう日で4年に1度しかないため、通常は10月29日を代わりに記念日とします。)

     設立運動は、上毛基督教婦人会など地元キリスト者や、廃娼運動で知られる上毛青年会の有志の支援を受けました。同志社出身の不破唯次郎(不破清の夫、熊本バンド、前橋教会牧師)は、その恩師である新島襄、アメリカン・ボード(アメリカの伝道団体)のD.C.グリーンやJ.H.デホレストにも協力を依頼しました。

     こうして、不破清、村山雪、笹尾縫らによる女学校設立の呼びかけは、数多くの人々の支援と協力を得て実を結ぶことになります。同年6月11日、不破唯次郎の名前で「私立女学校設立御伺書」が佐藤与三知事に提出され、同月21日付をもって女学校の設立が認可されました。前橋英学校の跡地(当時の南曲輪町、現在の前橋市大手町2丁目)に設立されたこの「前橋英和女学校」が現在の共愛学園中学・高等学校です。同年10月には「目下生徒数40数名に上がり、旭日東天に跳ねるの勢いとなれり」と当時の基督教新聞がその滑り出しの順調さを報じています。

  • 創立90周年記念新体育館竣工記念画像

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    創立90周年記念新体育館竣工記念

    共愛の発展を支えた岩神キャンパス

     1889年(明治22年)には上毛基督教婦人会から150円(現在の貨幣価値換算で数百万円程)のレプタ献金を得て、手狭な同地から岩神(現在の前橋市岩神町)へと移転しました。以来、校名も上毛共愛女学校、共愛女学校、共愛学園と変えながら、岩神の地において100年以上にわたり数多くの卒業生を送り出しました。また、1998年(平成10年)には、現在の小屋原町にキャンパスを移転しました。

  • 共愛女子短期大学体育館竣工記念時の写真

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    共愛女子短期大学体育館竣工記念時の写真

    「共愛学園女子短期大学」の設立

     創立100周年を迎えた1988年(昭和63年)に、共愛学園女子短期大学を創設しました。
     学科は国際教養科で、教育目標として「豊かな宗教的情操に根ざした全人教育」、「国際性に裏付けられた幅広い教養」、「学問に対する真摯な態度」を掲げていました。
     カリキュラムは、英語を中心とする語学に、経済学・政治学など社会科学系の幅広い科目を組み合わせた点が大きな特色で、パソコン教育の重視と合わせて、社会に有為な人材を育成する教育内容でした。
     共愛学園女子短期大学は、開設以来、毎年200名から300名の卒業生を社会に送り出し、合計2,729名の卒業生が短大を巣立っていきました。

  • 共愛学園前橋国際大学 1号館画像

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    共愛学園前橋国際大学 1号館

    女子短大から共学の四年制大学へ

     創立110周年を迎えた1999年(平成11年)、共愛学園女子短期大学は、共学の四年制大学に発展的に改組され、共愛学園前橋国際大学となりました。

     この改組の理由には、
    ①時代の方向性として、職業人として自立する女性への支援をいっそう強化すること、および、急速な国際化に対応する専門教育を格段に充実させることが、ますます必要になってきたこと。
    ②人材養成は男女の別を問うものではなく、また、男女共学は自然な教育形態であって、女性にとっても男女の協働の経験が将来の社会生活で積極的な意味を持つと考えられるようになったことがあげられます。

     大学への移行は、共愛学園女子短期大学の精神と教育を継承・発展させ、高い専門性と共学による男女の協働をめざすものでした。

     共愛学園女子短期大学は、在学生の卒業によって形式上は閉校となりましたが、同窓生にとって大学が母校であり続けます。
     大学のキャンパスは短大のものを継承し拡張しており、共愛学園女子短期大学の本館が大学では1号館、新館が2号館と呼ばれています。(名称は、大学開設時にさらに新しい建物が建設されたことにより変更されました。)

     共愛学園女子短期大学の最後の入学者が2年生の時に、大学の最初の入学者が1年生として同じキャンパスで共に学びました。また大学は、開設と同時に3年次編入を受け入れ、共愛学園女子短期大学から多数の編入学がありました。こうしたことから、学生自治会(栄友会)や学園祭(シャロン祭)も引き継がれ、聖歌隊をはじめとするサークルなども引き継がれました。

     また、同窓会組織も、短大と大学が一つになっており、互いに先輩後輩として協力しながら活動を展開しています。シャロン祭には例年多くの短大同窓生が訪れ、同窓会による模擬店も出店されています。

  • 共愛学園こども園 園児たち画像

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    共愛学園こども園 園児たち

    「県内唯一の総合学園」への発展とこれから

     1939年(昭和14年)、旧アメリカン・ボード宣教師館内に共愛幼児園を開設しました。法令改正にともない、1965年(昭和40年)に共愛学園幼稚園へと名称変更され、2006年(平成18年)には共愛学園幼稚園が小屋原キャンパスに移転されました。
     また、2009年(平成21年)には前橋市が運営をしていた木瀬保育所が前橋市から移管され、共愛学園木瀬保育園が開設されました。このように、共愛学園は、共愛学園幼稚園と共愛学園木瀬保育園をそれぞれ運営してきましたが、2016年(平成28年)に共愛学園幼稚園と共愛学園木瀬保育園をこども園へと移行し、共愛学園こども園が誕生しました。

     その他にも、2011年(平成23年)には共愛学園学童クラブを設置、2016年(平成28年)には共愛学園小学校が誕生するなど、共愛学園は発展し続けてきました。

     また、2020年(令和2年)2月25日付で、学校法人平方学園と学校法人共愛学園は①学園相互の交流と協力の促進、②両法人の教育研究機能の向上、③前橋市を中心とする地域の教育力向上を図ることを目的として包括連携協定を締結しました。この包括連携協定の取り組みの1つとして、学校法人平方学園が運営していた明和学園短期大学が学校法人共愛学園に移管され、2021年(令和3年)4月に共愛学園前橋国際大学短期大学部へと生まれ変わりました。

     このようにして、共愛学園は現在ではこども園から大学までの部門を擁した群馬県唯一の総合学園となりました。共愛学園はこれからも地域の発展と共に歩み続けます。

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