宣教師館の成り立ち

宣教師館の建設

 1888年(明治21年)の前橋英和女学校の開校に際して、語学教育のためにアメリカン・ボードの女性宣教師が前橋に招請されました。3年後の1891年(明治24年)には主任宣教師のアメリカ人夫妻も招請され、それら宣教師たちの住居が建てられることになりました。

 1891年(明治24年)11月頃に主任宣教師館(西館、現存せず)が、1892年(明治25年)4月に教育宣教師館(東館)が完成しました。附属棟、メイド用住宅2棟、物置も同時期に建設され、これら合わせて6棟の洋館群は、当時の前橋の一名所として市民に親しまれることになりました。

明治末年から大正初年頃の宣教師館

写真は、明治末年から大正初年頃、桑畑の中の東館(右)と西館(左)

設計者と施工者

 設計者に関する資料は残っていませんが、アメリカン・ボードの宣教師D. C. グリーンではないかと考えられています。

 施工者は前橋市の斎藤善太郎(1858-1916)であることが判明しています。斎藤善太郎は、1890年代から1910年代にかけて、前橋裁判所官舎、前橋郵便局、前橋税務署、桃井小学校など、前橋市内の主要な洋風建築のほとんどを手がけた棟梁でした。この宣教師館は、彼の建築物の中で現存する唯一のものです。屋根裏の柱には彼の署名が残っています。

宣教師館

一階居間

建物の構造

 木造、桟瓦葺、切妻、ニ階建てで、ボストンの住宅の特徴を色濃く持っています。

 一階平面はL字型で、東西40.4尺(玄関・西ベランダ除く)(約12.2m)、南北56.2尺(約17.0m)です。
 一階には、居間、応接間、事務室、食堂、厨房、食品庫、勝手、納戸、便所、浴室、東ベランダ、西ベランダ、玄関などがあります。
 二階には、居間、東寝室、西寝室、予備室、東バルコニー、西バルコニーなどがあります。
 この他に、地下室と屋根裏部屋があります。

宣教師館

屋根裏のトラス構造

宣教師館

一階食堂

その後の変遷

 1931年(昭和6年)7月30日、マエバシ・ステーションに最後まで駐在した宣教師グリスウォルドが定年で帰国し、宣教師館は閉館されました。1935年(昭和10年)にアメリカン・ボードから共愛社に東西二館と土地が譲渡されました。

 一時、日本人造繊維株式会社建設のためのドイツ人技師や日本人技師の住居として利用された後、1939年(昭和14年)に東館に共愛幼児園(現在の共愛学園幼稚園)が開設されました。

 1945年(昭和20年)8月5日、前橋空襲により共愛学園の校舎や諸施設は焼失しましたが、東館は、焼夷弾を被弾しながらも不発だったため奇跡的に焼失を免れました。

宣教師館

二階東寝室

文化財指定と保存

 1978年(昭和53年)に群馬県の重要文化財に指定されました。

 1982年(昭和57年)には老朽化と蟻害発生を契機に群馬県と前橋市の補助を得て復元工事に着手し、翌年に竣工、資料館として開館しました。

 1998年(平成10年)、共愛学園中学・高校のキャンパスの移転に伴い、群馬県と前橋市の補助を得て移転工事に着工し、2001年(平成13年)に竣工しました。これらの過程で建築上のさまざまな事実が明らかになりました。

 現在は資料館として学習や研究に活用されています。

宣教師館

階段